壁を作る人は、よく誤解される。
距離を取る。
感情をあまり見せない。
踏み込みすぎない。
だから「冷たい人」と思われることがある。
しかし実際には、その逆の感情を抱えている人も多い。
壁を作る人ほど、心のどこかでこう思っている。
「本当は見抜いてほしい」
この矛盾はどこから生まれるのだろうか。
壁は防衛である
まず前提として、壁は拒絶ではない。
多くの場合、それは防衛だ。
人は経験から学ぶ。
・期待して傷ついた
・感情に飲まれた
・自分の価値を疑った
こうした経験は、人に距離を覚えさせる。
「ここまでにしておこう」
その距離が、壁になる。
壁は冷たさではなく、自分を守る仕組みだ。
それでも理解されたい
しかし、防衛を持つ人にも欲求は残る。
それが「理解されたい」という欲求だ。
人は誰でも、自分を理解してくれる存在を求める。
ただし壁を持つ人は、その欲求を簡単には表に出さない。
なぜなら、理解されない可能性も同時に見えているからだ。
理解されなかったときの痛みを知っている。
だから先に距離を作る。
しかし完全に諦めているわけではない。
心のどこかで、理解される可能性を残している。
見抜かれたとき、人は揺れる
壁を持つ人にとって、一番不思議な瞬間がある。
それは、壁を見抜かれたときだ。
距離を取っている理由。
強がり。
防衛。
それを静かに理解されたとき、人は揺れる。
防衛が崩れるからだ。
壁は守るために作られている。
しかし見抜かれるということは、防衛が必要ないかもしれないと感じる瞬間でもある。
このとき人は、戸惑う。
見抜く人は多くない
ただし、壁を見抜く人は多くない。
多くの人は、壁を見ると離れる。
「冷たい人」
「距離がある人」
そう判断して関係を浅くする。
それは自然な反応だ。
しかしまれに、違う反応をする人がいる。
壁の奥を見ようとする人だ。
距離を拒絶として受け取らない。
そこに理由があると考える。
こうした人に出会うとき、壁は揺れる。
壁は矛盾を抱えている
壁には矛盾がある。
守りたい。
でも理解されたい。
近づきすぎるのは怖い。
でも誰かに見つけてほしい。
この矛盾があるから、人は完全には閉じない。
防衛を持ちながらも、どこかに余白を残す。
そしてその余白を見つけた人だけが、少しずつ距離を縮めていく。
最後に
壁を作る人は冷たいのではない。
壊れないように守っているだけだ。
そしてその防衛の奥には、もう一つの感情がある。
理解されたいという感情だ。
もし誰かの壁を見たとき、それは拒絶ではなく防衛かもしれない。
そしてその奥には、まだ残っている余白があるのかもしれない。


