「壁を壊そう」
人間関係の話になると、こう言われることがある。
もっと心を開いた方がいい。
距離をなくした方がいい。
壁は問題であり、なくすべきものだと考えられることが多い。
しかし本当にそうだろうか。
人はなぜ壁を作るのか。
その理由を考えると、少し違う見方が見えてくる。
壁は防衛である
壁は、拒絶ではない。
多くの場合、それは防衛だ。
人は経験から学ぶ。
期待して傷ついた経験。
感情に飲まれた経験。
自分の価値を疑った経験。
こうした出来事は、人に一つの学習を生む。
「ここまでにしておこう」
距離を覚える。
その距離が、壁になる。
壁は冷たさではない。
揺れる自分を守るための装置だ。
壁を壊そうとすると防衛は強くなる
ここで問題が生まれる。
壁を壊そうとするときだ。
「もっと心を開いて」
「距離をなくそう」
こう言われると、人はどう感じるだろう。
多くの場合、防衛は強くなる。
なぜなら壁は守るために作られているからだ。
守るためのものを壊されそうになると、人はさらに守ろうとする。
これは自然な反応だ。
壁は境界でもある
壁にはもう一つの意味がある。
それは境界だ。
どこまで近づくか。
どこからが自分なのか。
人は関係の中で、無意識に境界を作っている。
この境界があるから、人は自分を保つことができる。
もし境界がなければ、人は簡単に揺れてしまう。
相手の感情に飲まれる。
関係に依存する。
壁は、そうした状態を防ぐ。
問題は【固定された壁】
ここで重要なのは、壁そのものではない。
問題は壁が固定されることだ。
どんな相手でも距離を取る。
どんな状況でも防衛する。
それでは人は安心できない。
関係も深くならない。
壁は防衛として必要だが、自由に使えなければ意味がない。
壁を扱える人
成熟とは、壁をなくすことではない。
壁を扱えることだ。
必要なときは距離を取る。
必要なときは距離を縮める。
壁があるかどうかではない。
壁を選べるかどうかだ。
壁に支配されるのではなく、壁を使えるようになる。
それが本当の意味での自由に近い。
最後に
壁は悪いものではない。
それは自分を守るための防衛であり、境界でもある。
壊す必要はない。
ただ理解する必要はある。
理解された壁は、少し柔らかくなる。
そして人は、必要なときに距離を縮めることができるようになる。
壁は消えるものではない。
扱えるものになる。


